「それでもだ。なにゆえそれを我に尋ねようと思うたのだ?厳島由来のものであれすでに我が毛利の領地は、徳川に隷従しておる身。わざわざ伺いなどたてずとも勝手に押し入って宝物殿の記録でも何でも当たれば良かろう」
ふん、とそっぽ向いておもしろくなさそうに言い捨てる元就に、家康は困ったように頭をかいて隆元を見た。救いを求めるような目に、だが隆元は気づかないふりをする。当然だ。どんな理由があるにせよ、父の機嫌をとらずして徳川に味方などするわけがない。
「わしはそんなことはしたくない。厳島は神聖な神の島だ。おさめる者に一度尋ねるは当然のことだろう」
「それは本心か?わざわざそなたがやってきた理由は」
「何が言いたいのだ、毛利殿は」
さっぱりわからない、という顔をする家康に、元就は一瞬殺気だった目の色を浮かべたが、そうと悟られる前にすぐに消え失せる。
「そなたは疑っているのであろう?」
「疑う」
「我がその宝具の呪いかかっているのだと、思うておるのだろう?」
だからここへ来た。違うか、と。
元就は厳島へ軟禁状態だったが、徳川の息のかかったものからの使者は幾度もやってきた。それは政の助言であったり祭祀における普請についての相談だったりと様々だったが、逐一元就の様子について報告されていたに違いない。やってくる使者は必ず同じ人物だった。そうして何年になるだろう。使者は少なからず不審に思い、家康に報告しているはずだ。
毛利元就の容姿は初めて目にしたときから一寸たりとも変わらない、と。
周囲の世界から取り残された人形のように、厳島の主には何の変化もない。ただそこに静かに在り続ける。
あれは人ではござらぬ。
家康の脳裏に、いつかの使者の苦言が思い出された。
『初めて家康様の命により厳島へ様子見に行ってから三年、五年、十年と、あの男は、何も変わらぬのです。あれはあやかしに違いありませぬ。もはや毛利元就という武人はすでにこの世におらぬのやもしれませぬ』
疑っているのか、と問われれば、うなずくしかない。
不老の人間などありはしない。
(そうであるならば、この、目の前にいる毛利元就は元親と同じように不老という呪いにかかったか、もしくは本当に人ならざるものなのか)
そうして家康は決意する。顔を上げ、正面から元就の鋭い美貌と対峙した。
「では尋ねる。毛利殿は不老の呪いにかかっておいでか」
「否」
「・・・・・・ではいま一度問う。あなたは人間か」
「・・・・・・いかにも」
その間はなんだ、と一瞬誰もが思ったが、かろうじて二つ目の問いを否定しなかったことに少なからず安堵する。
「では手鏡についてはどうだろうか」
「確かにかつて厳島で一日だけ、祭祀の際公開した宝物に似ておる。だがそうと断定もできぬ。あれは普段人の目に触れることの禁じられたもの」
「失せたのではないか?元親が奪ったものならば、責任を持って返却したい。だから取り返す協力をしてほしい」
奪われたのならば、そうと分かる記録があるはずだ。そもそも奉納されていたものが失せたのならすぐさま気づくはずだ。それほど大事なものなら、探しもしただろう。
隆元がそっと父を見やる。
あの大きな戦の後、厳島を蹂躙した鬼が奪って行った宝物の中にそれがあった。しかし戦の後処理に追われ、すぐに奪い返す算段がとれなかったのは事実である。隆景に言いつけて四国を見張らせ続け、こうして家康がやってきた。手鏡を取り戻した後返却すると言うのならば、協力してもいいのではないか。
駄々をこねる様に渋るのは、ひとえに元就の私情だ。彼の、そして毛利家の徳川嫌いは筋金入りである。そこにあるのは、戦に負けたから、といったものを超えるもっと深いものがあるのではないか、と隆元は思っている。元就が家康を嫌う理由など、ひとつしかないではないか。
「それで、取り返して何とするのだ?」
「え?」
す、と目を細める仕草は値踏みするものだ。瞬間背筋が冷えて家康は慌てて温くなった茶を飲み干す。
「盗人から取り返して、鬼を黙らせて、厳島へ返却して。それでどうするのだ?」
「・・・・・・どうするとは。元に戻せば呪いは消えないのか?祈祷でも何でも、わしにできることがあれば、何でも」
虚を突かれたようにしどろもどろになる家康に、元就はどうしようもなく嘲りの感情しか浮かばなかった。
「話はここまでだ。我は午睡の時間なのでな」
「待ってくれ毛利殿、どういう意味なのだ、呪いを解く方法を教えてくれ!」
立ち上がって部屋を出て行こうとする元就を追いすがるように、家康はその背に向かって声を荒げた。確かに、調子のいいことを言っているかもしれない。だがこのまま宝具を取り返す約定だけ交わして、何の解決にもならぬままというわけにはいかない。
二度と元親と会えなくなるかもしれないのだ。それだけは阻止せねばならない。
「毛利殿!」
「お控え下されよ徳川殿。これより先天下人たる貴殿であろうと立ち入れる場所ではありませぬ」
足音すら立てず去っていく元就との間を阻んだのは、隆元よりは幾ばくか年下の、元就によく似た顔立ちの秀麗な男だった。
「神に仕えし者のみが許される神域でございまする」
「そこで午睡を?」
疑わしげな顔をする家康に、隆景は慇懃無礼に頭を下げる。
「宴の用意を致しましてございます」
無理に突破することもできる。だがそんなことをすれば確実に元就の協力は得られなくなるだろう。
(ああ、本当に困った)
結局、どうあっても謀神のてのひらのうち。
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元就さんが家康を嫌う理由は【不可思議愛憎劇】で散々語った通り。
元親は杯を手にどこか遠くを見やったままだった。
知らぬ者が見れば、完全に年齢が逆転している。元親の時間は止まったまま、あの頃の戦のままだ。
精悍な顔つきは沈んだ表情だとひどく大人びて見えるが、それでも若さに満ち溢れている。遠い未来を渇望する若武者そのものだ。決して一度失えば戻らぬもの。それを持ち続けていることの違和感は、友人である家康さえふとした瞬間気づくのだから、友ではない一般の人々にしてみれば異端極まりないだろう。
そのようなことをぽつぽつと語りつつ、銀色の髪を月明かりに反射させながら鬼は苦笑いを浮かべるのだった。
「おまえの気持ちは嬉しいし、いつだって大事な友だと思ってる。けどおまえは俺なんかのせいで地位を揺らがせちゃいけねえ。天下人になるってことは、この日の本の民の命を預かるってことだ。私情で揺れ動いちゃならねえ」
「元親」
彼の言うことはあたっている。あの大きな戦においてもそうだったではないか。理想を現実のものとするためにさまざまなものを失った。血を流して戦うのは部下たちであり、それは敵対する者にしてもそうだ。武器を捨てて前線に立ち戦ったところで、それは率いる立場として当然のことをしたまでであり神格化されるべきことではない。むしろ幾万もの命を散らしてきたことへの責任がある。
守るべきものはなにか。友か、それとも泰平の世のための自分の地位か。迷うまでもないことだ。
「原因は何だ」
「原因」
「そうだ、元親。まずそこから考えるべきだ。確かにしばらくここへは来ない方がいいかもしれない。だがその前に、何故老いない体になったのか、それを探るべきだろう」
ああ、何々するべき、などと嫌いな言葉を使っている、と自嘲しながら家康は唇をかみしめた。
しばらく考え込むように沈黙して、元親はがりがりと銀色の髪をかいた。
「分からねえ。全く身に覚えがねえ」
「呪いの類かもしれない。罰あたりなことをしなかったか?」
「何だよそりゃ」
ひでぇなあ、と渋い顔をして、それでも思い出そうと首を傾げた。
「たとえば、そうだな、神社仏閣で何かよからぬ悪さをしたとか、集めたお宝の中に何か呪いのかけられたものがまざっていたとか」
「おまえな・・・・・・」
本当に俺の友達か、と大げさに嘆息してから、お宝かあ、と呟いた。自分のものにしたお宝はざっと品定めして、売り飛ばすか蒐集物に加えるかに振り分けて行く。金銀財宝に興味があるというわけではない。義賊の真似事をするつもりもない。元親はただ美しいものが好きだ。それが女物の反物だったり飾りだったり薬を入れる器だったり様々で、自分で使うというよりはたまに手にとり眺めて楽しむのである。
「気に入ったものは売っちまわないで船の俺の部屋に全部放り込んであるけどよ。どれが何だか分かんねえ」
「うーむ」
手あたり次第片っ端から探ってみるしかないのか。
それきりどうしようもなくなって、ふたり静かに盃を傾けていた。やがて家康はもう少しだけ、問題を先送りしたいと思いながらうとうとしだす。
きらり、となにかが反射してふと目を開けて瞬きすると、一定のペースを守ったまま酒を飲んでいる元親が手のひらに何かを乗せて月の光を当てていた。きらきらと輝くそれは宝石のように見えたが、よくよく目を凝らすとそうではなく、特に何かが細工されたわけでもない、平凡な手鏡のようだった。
それは何だ、と尋ねようとしたが、どうにも瞼が重く声を発することができない。元親は何かにとりつかれかのようにじっと鏡を眺めては月明かりを吸収するように動かしている。その表情は穏やかで、しかしどこか切ない。誰かを想っているような、そうかと思えば何かを失ったような。
(元親)
それは、誰にもらったものなのだ、と。
尋ねたかったのだが。
それで、と僅かに身を乗り出した隆元だったが、続きを一向に口にしようとしない家康に焦れてちらりと部屋の外へ目をやった。心得た家臣がすぐさま使いをやって茶のお代わりを持ってくる。決して高価なものではないが、心安らぐ甘い香りに家康はほっと息をついたようだった。別に隆元や家臣による家康への気遣いではないことは分かっている。きっと自分は毛利の人間に嫌われているだろうから。
「失くした、と言うのだ。元親がな。どこかへ落としたか、酔って少し辺りを散歩していたとき人とぶつかったのでそのと盗られたかもしれないと。あまりに気に入っていたものだからどうしても探したいのだが日中出歩くには、彼は目立ちすぎる。そろそろ外海へ出ようと準備している頃だった。それで、その手鏡の特徴を詳しく聞き、絵を描いてもらってわしが探すことにした」
「天下人が失せ物探しか。ずいぶんと暇なことだ」
皮肉をこめて言うが、家康はさらりとそれを交わした。
「無論信頼のおける家臣に事情を説明して探してもらおうとした。だが元親に描いてもらった図面を見て、妙な顔をしたのでな。問いただしてみたら、これは昔厳島で一日だけ公開された宝物ではないかと。そう言うのだ」
「・・・・・・・・・・・・・」
おかしなところで情報は交錯するものだ。
結局元親は自分のお気に入りの宝の出所もなにも知らぬまま、後を頼むと言い置いてそそくさと江戸を出立したという。次にいつ戻るとも告げず、外海へと航海に出てしまった。
「それで、何ゆえここへ参られたのだ将軍殿」
話に飽きた、といった様子で脇息にもたれかかり元就は小さくあくびをする振りをした。家康の家臣が見ればぎょっとしただろう動作に、家康は何も言わない。言えるはずがない。彼はいまだ元就を警戒しており、排除すべきか否か揺れ動いているままだ。ここは毛利の領地であり、当主の座を譲ったとは言え謀神はこうして健在なのである。
元就は家康を試している。試されていることを、家康は知っている。
「ひとつ。持参した元親の描いたこの手鏡は厳島由来のものか。もうひとつ。老いぬ呪いについて心当たりはないか。それを伺いたい」
どうか、と懐からとりだすのはその絵とやらだろう。
すでに何度も開いては畳みを繰り返したのかもしれない皺くちゃのそれを開き、元就と、そして隆元にもよく見えるようにと差し出した。動こうとしない父の代わりに隆元が進み出て、ことわりを入れてからそっと近くへ引き寄せる。
「父上」
どうか、と尋ねる隆元だったが、無言のままそっと目をそらした元就の表情に確信する。
ではやはり、これは呪われし宝物であり、鬼は呪われたのだ。
不老という奇跡に。
「久しぶりだな、毛利殿。息災のようで何よりだ」
「ふん。そなたは老けたな征夷大将軍殿」
思い切り皮肉を込めて笑いかければ、家康ははっきりと苦笑した。
「あなたは変わらないな。初めてわしが会った時から何も変わらない」
今や日の本を手中におさめる天下人だというのに、家康は従者を外に待たせたままひとり、元就が住む屋敷の内にいる。いくらか揉めたのだろうが、毛利を敵視する人間をもてなすほど元就も、そして毛利の人々も寛大ではなかった。それを先読みしての家康の行動は、善意ともとれるし、どうせ何も手出しできないのだからと嘲笑うかのようにも思える。
元就の少し後ろには隆元が座っている。これではどちらが当主やら、と思うが、今回の場合家康は元就に用がある、とはっきり明言しているのだから、これでいいのだろう。隆元はわずかに視線を動かして、鬼の気配がないことに安堵した。
家康の用とやらが呪いの宝物に関することであれば、その呪いにかかっているだろう長曾我部元親も一緒に来るだろうと思っていたからだ。当然、簡単に父に会わせるつもりなど毛頭ないのだけれど。
「それで、何の用だ。我は隠遁した身ゆえ長々と話す相手でもなかろう、将軍殿」
「やめてくれ、毛利殿。何だかこそばゆい」
すでに天下人としての風格を備え、どっしりした体格と落ちついた性格がようやく見合うようになった、と元就は分析する。昔は、それこそ十五年ほど前は理想と現実の差に苦しみながらもがき、ただひたすら突き進む若さで眩しかった。ただそれだけだった、とも言える。彼は自分の理想と、それを実現させるだけの力を振るうことを覚悟したと言いながらもどこかで迷いがあった。信じる者は全て頼れる者だと甘い考えを持っていた。
(だから馬鹿な鬼にあっさり裏切られる)
誤解は解けてもわだかまりは残る。それは元親に対してではない、何故、正面から、違うのだと、そう伝えることをしなかっただろうという後悔だ。一歩間違えればふたりとも絶望に底に叩き落されるところだったのだから。
人の心はうつろいやすく、決して善人ばかりではなく、またどす黒い感情と念がうずまくものだと。
そろそろ気づいただろうか。
理想で世界は変えられぬ。
愛などでは何も救えぬのと同じように、綺麗事ではなにも立ちゆかないのである。
ただひとつだけ、元就が信じるものがあるとすればそれは日輪のみであり、血縁者でさえ信用と信頼の対象ではなかった。
彼が守るべきは家であり、家族ではなかった。
ただ、必要だと思うからこそ、身内のために試行錯誤するのだが。
家康はひとつ咳払いをしてから置かれた茶をためらいなく飲み干すと、背筋を伸ばして元就を正面から見据えた。
「実は、三年ほど前元親から預かったとある宝が盗まれた」
真剣な面持ちで告げる家康に、元就は堪え切れずに噴き出した。
ふ、ふ、ふ、と扇子で口元を覆い隠しながら笑う姿に、隆元が慌てて腰を浮かせる。
「なんと愉快な話ぞ。盗品がさらに盗まれたか」
「笑いごとではないのだ」
「これを笑わずして他になにを笑えと申すのだ。おかしくてたまらぬ。礼に今宵は宴で盛大にもてなしてやろうぞ」
「毛利殿!」
ついに苛立たしげに声を荒げた家康に、部屋の外に控える従者たちがびくりと肩を震わせた。だが当然元就が動じるはずもなく、おかしげに目を細めるだけに留まった。冷静な彼の様子に、家康ははっとしてすまん、と呟く。
「だがこれは大事なのだ。あの宝具は・・・・・・」
神器なのだろう、と家康は確かめるように言った。
俺はもうここにはいられねえ。
酒を手にふらりとやってきた元親がぼそりと呟いたそのときの表情を、家康ははっきりと覚えている。夜の帳が下りた闇の中、煌々と中庭を照らす橙色の月とゆらりと揺れる灯だけが陽炎のようだった。香るのは上等な酒精で、それだけで酔ってしまいそうな芳香がいっぱいに広がっている。庭に生息するのは家康が薬を作る材料になるものだ。生ぬるい風にざわりと揺れながら、手折られるのを待っているようで。
「元親」
彼の言わんとすることを家康は知っていた。
天下を二分する大きな戦からすでに十年ほどがたっていた。太平の世の地盤を固めるのは容易ではない。それでも、仕組みを整え、様々な法を整備し、かつて敵対していた大名諸国に目を光らせる。家康が忙しくする一方で元親は四国の立て直しをあらかた終えるとふらりと大海へ出るようになった。あまり国へ帰ろうとしないのは居辛いからなのか、それとも海を隔てた対岸を眺めていたくないからか。それでもたまに戻ってきては珍しい贈答品を江戸へ持ってきてくれる。その度に、もう少し、もう少しと引きとめては一緒にいてくれないかと言うのだが、元親が応とうなずくことはなかった。
何度海へ出て戻ってきても。
西海の鬼とよばれていた男は変わらなかった。
そうしてもう十年だ。
長い時で一年、短くとも三月は姿をくらます彼が戻ってくるたび、少しずつ周囲の反応がおかしくなっていった。
鬼だ。
鬼はもうずっとあのまま年をとっておらぬように見える。
やはりあれは人ではないのか。怨嗟を糧に生き続ける正真正銘の鬼ではないのか。
そんな噂は城中に、そしてやがては征夷大将軍が鬼を飼い馴らしている、という尾ひれまでついて城下を駆け巡って行った。
土佐と言う、遠い国を知らぬ者たちも多い。かの国は日の本にあって日の本にあらず。それを家康様が手中におさめたのだ、と。それは偉業ではあるが、果たして鬼をこのまま天下人の近くに好き勝手においてよいものか。
家康とて、何もかもが意のままに操れるわけではない。失脚を狙う古い人間もいる。彼は天下人ではあるが、敵は外部だけに存在するわけではなかった。
だからこそ、と家康は思う。
だからこそ、元親には近くにいてほしかった。何でも相談できる、友人であってほしかった。
「元親、周囲の目なら気にしなくていい。おまえはそんなことで委縮する男じゃないだろう?」
だからどこかへ行ってしまわないでくれ。否、航海に出るならそれでもいい。必ずいつものように戻ってきてほしい。
そう家康は告げるのだったが。
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つづきはまた来週