元親は杯を手にどこか遠くを見やったままだった。
知らぬ者が見れば、完全に年齢が逆転している。元親の時間は止まったまま、あの頃の戦のままだ。
精悍な顔つきは沈んだ表情だとひどく大人びて見えるが、それでも若さに満ち溢れている。遠い未来を渇望する若武者そのものだ。決して一度失えば戻らぬもの。それを持ち続けていることの違和感は、友人である家康さえふとした瞬間気づくのだから、友ではない一般の人々にしてみれば異端極まりないだろう。
そのようなことをぽつぽつと語りつつ、銀色の髪を月明かりに反射させながら鬼は苦笑いを浮かべるのだった。
「おまえの気持ちは嬉しいし、いつだって大事な友だと思ってる。けどおまえは俺なんかのせいで地位を揺らがせちゃいけねえ。天下人になるってことは、この日の本の民の命を預かるってことだ。私情で揺れ動いちゃならねえ」
「元親」
彼の言うことはあたっている。あの大きな戦においてもそうだったではないか。理想を現実のものとするためにさまざまなものを失った。血を流して戦うのは部下たちであり、それは敵対する者にしてもそうだ。武器を捨てて前線に立ち戦ったところで、それは率いる立場として当然のことをしたまでであり神格化されるべきことではない。むしろ幾万もの命を散らしてきたことへの責任がある。
守るべきものはなにか。友か、それとも泰平の世のための自分の地位か。迷うまでもないことだ。
「原因は何だ」
「原因」
「そうだ、元親。まずそこから考えるべきだ。確かにしばらくここへは来ない方がいいかもしれない。だがその前に、何故老いない体になったのか、それを探るべきだろう」
ああ、何々するべき、などと嫌いな言葉を使っている、と自嘲しながら家康は唇をかみしめた。
しばらく考え込むように沈黙して、元親はがりがりと銀色の髪をかいた。
「分からねえ。全く身に覚えがねえ」
「呪いの類かもしれない。罰あたりなことをしなかったか?」
「何だよそりゃ」
ひでぇなあ、と渋い顔をして、それでも思い出そうと首を傾げた。
「たとえば、そうだな、神社仏閣で何かよからぬ悪さをしたとか、集めたお宝の中に何か呪いのかけられたものがまざっていたとか」
「おまえな・・・・・・」
本当に俺の友達か、と大げさに嘆息してから、お宝かあ、と呟いた。自分のものにしたお宝はざっと品定めして、売り飛ばすか蒐集物に加えるかに振り分けて行く。金銀財宝に興味があるというわけではない。義賊の真似事をするつもりもない。元親はただ美しいものが好きだ。それが女物の反物だったり飾りだったり薬を入れる器だったり様々で、自分で使うというよりはたまに手にとり眺めて楽しむのである。
「気に入ったものは売っちまわないで船の俺の部屋に全部放り込んであるけどよ。どれが何だか分かんねえ」
「うーむ」
手あたり次第片っ端から探ってみるしかないのか。
それきりどうしようもなくなって、ふたり静かに盃を傾けていた。やがて家康はもう少しだけ、問題を先送りしたいと思いながらうとうとしだす。
きらり、となにかが反射してふと目を開けて瞬きすると、一定のペースを守ったまま酒を飲んでいる元親が手のひらに何かを乗せて月の光を当てていた。きらきらと輝くそれは宝石のように見えたが、よくよく目を凝らすとそうではなく、特に何かが細工されたわけでもない、平凡な手鏡のようだった。
それは何だ、と尋ねようとしたが、どうにも瞼が重く声を発することができない。元親は何かにとりつかれかのようにじっと鏡を眺めては月明かりを吸収するように動かしている。その表情は穏やかで、しかしどこか切ない。誰かを想っているような、そうかと思えば何かを失ったような。
(元親)
それは、誰にもらったものなのだ、と。
尋ねたかったのだが。
それで、と僅かに身を乗り出した隆元だったが、続きを一向に口にしようとしない家康に焦れてちらりと部屋の外へ目をやった。心得た家臣がすぐさま使いをやって茶のお代わりを持ってくる。決して高価なものではないが、心安らぐ甘い香りに家康はほっと息をついたようだった。別に隆元や家臣による家康への気遣いではないことは分かっている。きっと自分は毛利の人間に嫌われているだろうから。
「失くした、と言うのだ。元親がな。どこかへ落としたか、酔って少し辺りを散歩していたとき人とぶつかったのでそのと盗られたかもしれないと。あまりに気に入っていたものだからどうしても探したいのだが日中出歩くには、彼は目立ちすぎる。そろそろ外海へ出ようと準備している頃だった。それで、その手鏡の特徴を詳しく聞き、絵を描いてもらってわしが探すことにした」
「天下人が失せ物探しか。ずいぶんと暇なことだ」
皮肉をこめて言うが、家康はさらりとそれを交わした。
「無論信頼のおける家臣に事情を説明して探してもらおうとした。だが元親に描いてもらった図面を見て、妙な顔をしたのでな。問いただしてみたら、これは昔厳島で一日だけ公開された宝物ではないかと。そう言うのだ」
「・・・・・・・・・・・・・」
おかしなところで情報は交錯するものだ。
結局元親は自分のお気に入りの宝の出所もなにも知らぬまま、後を頼むと言い置いてそそくさと江戸を出立したという。次にいつ戻るとも告げず、外海へと航海に出てしまった。
「それで、何ゆえここへ参られたのだ将軍殿」
話に飽きた、といった様子で脇息にもたれかかり元就は小さくあくびをする振りをした。家康の家臣が見ればぎょっとしただろう動作に、家康は何も言わない。言えるはずがない。彼はいまだ元就を警戒しており、排除すべきか否か揺れ動いているままだ。ここは毛利の領地であり、当主の座を譲ったとは言え謀神はこうして健在なのである。
元就は家康を試している。試されていることを、家康は知っている。
「ひとつ。持参した元親の描いたこの手鏡は厳島由来のものか。もうひとつ。老いぬ呪いについて心当たりはないか。それを伺いたい」
どうか、と懐からとりだすのはその絵とやらだろう。
すでに何度も開いては畳みを繰り返したのかもしれない皺くちゃのそれを開き、元就と、そして隆元にもよく見えるようにと差し出した。動こうとしない父の代わりに隆元が進み出て、ことわりを入れてからそっと近くへ引き寄せる。
「父上」
どうか、と尋ねる隆元だったが、無言のままそっと目をそらした元就の表情に確信する。
ではやはり、これは呪われし宝物であり、鬼は呪われたのだ。
不老という奇跡に。