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おおきくすっ転んでスリーアウトチェンジ

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隔てた世界 10


 まだ安芸から連絡はこないのか、と僅かに焦ったような声で尋ねる家康に、彼の忠実な部下はさらに頭を低くした。
「幾度使者を送っても、まだ時間がかかるとの返事。どれだけの文献を紐解いているのかと尋ねても、大昔の書ゆえ解読に時間がかかっているようです」
「そうか」
 嘆息して、他に誰もいない廊下をふたりひたひたと歩く。続く先は完全な私的空間であり、よほど気心の知れた配下しか立ち入りを許さなかった。奥屋敷との境には見張りの兵がふたり、深々と頭を下げて天下人を通す。
「元就殿はどうしている?」
「は、茶室に」
「・・・・・ふうん」
 茶室か、と家康は近習に目配せして下がらせた後庭へと出た。
 自分のためだけに作らせた館、自分のためだけの茶室。そこに人を招いたのはこれまでにふたりだけだ。元親は茶の湯なんて、などと言いながらも、常時の振る舞いからは想像できないほど礼儀正しく茶をたてていた。嫌々教え込まれたのだと眉間に皺をよせながら、小さく切り取られた菓子をほおばっていたのを覚えている。そういう仕草のひとつひとつを見るたびに、ああ彼はまがりなりにも国主であったのだ、と思い知らされる。気の良い友人、海の男、四国を司る主。みっつの顔を持つ長曾我部元親という男の存在は、家康によって三成に対するものとも違う、ひどく心地よいものだった。彼には嘘をつく必要がなく、正面から何を言っても彼が怒ることはなく、ただ大人びた顔で困ったように笑う。年月が流れ自分だけ中年と言っても良い年にさしかかろうと、変わらぬ姿で元親はただ微笑んでいた。
 留まる場所がないのは辛かろう、居心地が悪かろうとこの館を提供し、ほとんど江戸を離れることの叶わぬ家康の代わりに国の外の事や海での出来事を尽きることなく話してくれた。いつまでたっても弟に対するような接し方は、外見年齢が完全に逆転してしまっても変わらなかった。
 元親の存在は家康にとって不変のものであったが、元親の時間が止まったままということはこの先必ず別れが来ることを意味していた。それはどうしても我慢ならないと思った。秀吉も、半兵衛も、三成も、大谷も、もう彼のそばにはいない。誰よりも一緒にいた忠勝すら昔のようにいつも隣りにいるというわけにはいかなくなった。彼の背に乗って自由に空を飛ぶことすら叶わない。それは家康自身が選んだ道だった。
 いっそ閉じ込めてしまおうか、などと考えたこともあったが、きっと一か所に留まるような男ではないとすぐに打ち消した。ならば、いつでも帰ってこられる場所でありたい。けれど日に日に元親は姿を消したままもう二度と戻らぬのではないかという焦燥感が強くなっていった。彼はいつも別れ際には軽く手を振って、またな、と言い残す。だが最後に彼を見送った時はどうだ。元親は振り返って雄々しく笑んで、じゃあな、と言ったのだ。それを聞いた時家康は悟った。これは今生の別れのつもりではないかと。そして、決して寂しそうな目をしていなかった鬼の隻眼について考える。彼はひとりではない。少なくとも元親自身はそう考えていない。どこか余裕のある表情。何か企むような笑み。そして考える。彼はいつでも、ひとりではないと分かっているのだ。
 ああ、わしもそうであったなら。
 けれどそれは叶わない。呪いの宝具を手にしたとしても、家康は不老でありたいとは考えないだろう。時代は継承するものだ。太陽のように人々を照らす存在でありたいけれど、人であることをやめて神になろうなどと。幾度となく復活し日の本を混乱させた大六天魔王のようにおそれられる存在になってはならぬ。
 元親のように奔放に生きられるのなら、不老であっても誰も自分のことを知らぬ土地へ行って身を隠す事は出来る。では元就はどうか。
(彼は厳島から出ない。毛利家にとって毛利元就という存在はすでに神に等しい)
 だからこそ元親は彼を連れて行くか、そばにいようとするだろう、と結論づけた。それが今でなくていい。自分たちを知る者が老いて死に絶えた数十年後であろうと何ら構わないのだ。時間の進む自分たちとは違い、彼らには余りある時があるのだから。
「元就殿」
 声をかけてにじり口から声をかける、ふわりと湯気が漂って、茶の芳香が鼻をくすぐった。
「いいだろうか」
「ならぬ、と申したところで貴様は入るのであろう。ならば好きにするがよい」
 どうでもよさそうな返事とともに貴人口の障子戸が開けられ、ぬっと真っ白な腕が差し込まれた。
「では失礼する」
 質素だが品の良い着物をつけて、元就はひとり誰もいない狭い茶室で湯を沸かしていた。
「何ぞ愚痴でも吐きにきたか」
「いや、そういうわけではないが。それよりあなたこそ文句がたくさんおありだろう」
 どうだ、と目を上げれば、華奢な背はぴんと延びたままちらりとこちらを見上げただけで表情はなかった。
「退屈な一年ぞ。だが悪くはない」
「そう、なのか?」
 元就が江戸へ連れられてきて四つの季節が巡っていた。軟禁しているわけではないので希望があればいつでも厳島へ戻って用を済ませることを許可していたが、元就は一度も帰りたいとは言わなかった。ただひたすら、この隔離された静かな場所で、茶をたてたり書を読んだり庭を散策したりのんびり暮らしている。何でもないような顔で、どうでもよさそうに。それが家康には理解できなかった。
「元就殿、隆元殿に文を出してはくれないか」
「我が出したところで何とする?」
「だがあちらからあなたが息災かどうかの文は月に一度来るのに、あなたは一度も返事を出していないではないか。これでは変に思われてしまう」
「変に、とは」
「だから・・・・・。わしが、あなたに無体を強いているのでは、とか、そういう」
 事実、何度も安芸からは元就の暮らしぶりを事細かに尋ねる慇懃無礼な手紙が山のように来ていた。元就自身の筆跡で返事がないことをひどくいぶかしんでいるのだろう。この館に滞在する限り、元就は自分から動かない限り外からの干渉を一切受けない。密かに処刑されたのでは、などと風聞がたっては非常に困る。
「家族が心配している」
「否、そんなことはあるまい」
「何故そう言い切れる?現に隆元殿からの文が」
「煩わしいだけよ。我は外界と隔てたこの場所が存外気に入っておる。邪魔だてするなと言ってやれ」
「元就殿」
 取り付く島のない様子に、家康は何も言い返せず、癇に障るほどに丁寧に差し出された茶を啜った。
 困惑した表情を貼りつかせたまま茶室を出て行く家康の背を見つめながら、元就はひっそり唇の端を上げて笑う。
「やつらもよく、やっておるわ」
 決して直接言うことのない賛辞を、そっと風に乗せた。






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隔てた世界 9

「隆景が?」
 無表情のまま問う元就に、隆元は平伏していた体を起こすとうなずいた。
「はい。御心配には及びませぬ。単なる海賊討伐の船団を指揮するだけのこと」
「否、心配などはしておらぬが。そうか」
 何か言いたそうに細めた目を、隆元はどうにか堪えて正面から受け止める。しばらく無言で見つめ合い、元就は仕方なさそうに小さく嘆息した。
「まあ良い、それで徳川はいかにしておる」
「はい、呪いを解く方法はこちらで文献をひもとくゆえ、とりあえずは手鏡を奪い返すための算段を練るよう進言致しました」
「ふん」
 鼻で笑って、茶番ぞ、と呟くのを聞こえぬふりをした。
「雑賀衆の力を借りるようです。そろそろ出立の時間かと。お見送りなさいますか?」
「誰が?我がか?」
「・・・・・・いえ、失礼つかまつりました」
 わざとらしく聞き返す元就の、機嫌がほんの少し下降したのを敏感に察知して頭を下げる。では、と立ち上がったところで、失礼する、と許可を求める声と同時に部屋の扉が開かれた。まるで声をかける意味がない。
「毛利殿」
「無礼な、と言いたいところだが大目に見てやろう。準備が済んだのであれば去るが良い」
 ひらりと手をぞんざいに振る元就に歩み寄り、家康はにこにこ笑いながら、有無を言わせぬ口調で彼の細い手をとった。
「一緒に来てほしい」
「・・・・・・・何だと?」
 険しい目でじろりと睨んだ。隆元は予想外の状況におろおろするばかりだ。誰か止めてほしい、と思ったが、真っ先に激高して止めにかかるだろうすぐ下の弟も、冷ややかに制止するだろうその下の弟もここにはいない。重臣たちは元就をおそれながらも天下人たる家康を止められるはずがない。
「貴様、戯言も大概にしろ。なにゆえ我がわざわざ出向かねばならぬ」
「わしは元親に会いたいのだ」
「ならば探せば良いではないか」
「いや、仮に見つけたとしてもあいつは江戸へ来てくれないだろう。だがあなたがいると知れば会いに来てくれる可能性が高い。否、必ずきてくれる」
「要は人質というわけか。だがやつめの容姿が変わらぬことを貴様の配下たちはおそれておるのであろう?ならば我もまた同じ事。人目に晒されるのは好かぬ。それとも嫌がらせのつもりか」
 何故、元親が元就に会いに来るなどと思うのか。
 何故、誰もかれもが理解不能なことを語るのか。
 苛立たしげに掴まれた手を離そうと腕を引くが、たくましい腕にがっちり捕えられて身動きができない。さっさと誰か助けろ、と殺意に似た怒りを込めて周囲を見渡すが、隆元をはじめとした毛利の連中は戸惑うばかりだ。
(役立たずどもめが)
 胸中で知る限りの罵詈雑言を吐いてから家康の返事を待つ。
 これが家康の、元就へ対する子供じみた仕返しだと言うのならば相応の対処を考えねばならない。江戸へ連れて行き軟禁状態にするつもりかと誰もが緊張した面持ちでふたりを眺めやる。しかし家康ははっとしたように手を離すと、困ったな、と苦笑して頭をかいた。その仕草は昔の、若かりし頃の癖そのままで、何も変わらない。
「大丈夫だ、毛利殿だと分からないよう手配する。屋敷の中ではわしのみが立ち入ることができる範囲内で自由にしてくれて構わない。うるさい年寄りどもも寄り付かない大事な一角が確保されているんだ。元親も、江戸で過ごすときはそこに寝泊まりしていたんだ」
 下手に騒ぎになってしまったから、もうそこにいれば良いというわけにもいかなくなったのだ、と家康は言った。
「我を鬼を呼び寄せる餌とするか」
「言い方は悪いが、そうだ。その程度のことはいいだろう?そうでもしないと元親はわしに会いに来てくれない」
 元親元親と、名を連呼する家康を元就は心底軽蔑するような目で見た。
 馬鹿馬鹿しい、と思う。
「我が江戸にいるなどと鬼は知るまい」
「いいや、必ず来る。あなたに別れを告げに」
「・・・・・・・別れ」
「手鏡を奪い返し呪いを解く。そうすれば元親の不老の呪いは解かれ、普通の人としての時間がまた進み始める」
 切ないような、それでいてどこか誇らしげな顔で、家康は元就を見た。
「そうすれば、毛利殿、あなたと元親は生きる時間がずれていく。あいつは老いてあなたは若く美しいままだ」
「・・・・・・・・・」
 鬼は人になり、人は人ならざる神の眷族と永遠を共にすることはできない。
 家康が、元就の老いぬ理由を知ったわけではない。けれど元就は呪われたわけではなく、元親とは違う理由で若さを保ったままだと本人の口から聞いたのだから、元就が人であって人ならざる身であることを察知したのだろう。
 そして我々とは違う時間を生きる者なのだと。
 だから別れを、と。
 当たり前のことを当たり前のように、残酷に告げる。
「一緒に来てほしい。決して不自由はさせない。不快な思いもさせない。徳川が接収した厳島の宝具の取り扱いについて助言をするために江戸へわざわざ来てくれた。わしが呼び寄せ歓迎しているのだと、そういうことにする」
 誰にも文句は言わせない、と強い目が言う。
(だがそれは我のためではないではないか)
 体の芯が、臓腑がひやりと冷たくなっていくのを元就は感じた。
 騙され自分を殺そうとした友と会うため。
 そしてその友とまた同じ時間を生き、杯を交わすために何でもやるのだとそう言う。
「貴様は相変わらずだ。結局かつての戦のときと同じよ。私情とそうでないものとを一緒にすれば混ざり合うとでも思っているのか」
「大事なものはなにひとつ失いたくないだけだ。そのためならわしはどんな我が侭でも通す。そのために天下を手にしたのだから」




***********************



家康に悪気はありません。
元親と会いたいだけなんだよ。










隔てた世界 8

 奇跡というものが存在するのなら、その光景を目にしたことがある。
 人は死ぬ直前、走馬灯が脳裏によぎるのだと言う。ならば厳島での死闘の後、ほぼ同時に相討ちとなった瞬間倒れ伏す自分が見たのは、その走馬灯なのだろうか。
 目の前いっぱいに広がる真っ白な世界。海上に美しくそびえたつ赤い鳥居だけが色を放ち、あとはひたすら白だ。己の具足も、踏みしめた床も、血の色さえもが雪のようで、冷たく硬い地面に頭をうちつけたはずなのに何の痛みも感じず、穏やかな、暖かい風と潮の香りだけが元就を優しく抱きとめていた。
 ぐるぐると時間が巻き戻って行く。石田軍壊滅の予測をたてて西軍につくと決めた朝。泥と雨にうたれるばかりの戦場。大谷からの密使。耐え忍んだ豊臣全盛期。織田の滅亡、対岸からやってくる鬼。新たな家族を得て日輪に感謝を捧げた日、毛利家を継いだ夜。実弟を手にかけた暗い雨の日。城を追い出されひとり復讐を誓った粗末な小屋の藁の感触、兄と父の死、それから、、、
 全てが白に。

 死ぬのか、と尋ねる声は何故か自分のものではなかったように思う。
 死にたくないか、と言っていたのかもしれない。記憶は曖昧で、ただとっくの昔に忘れ去った優しい義母の声に似ていた。死ぬまで元就を見捨てなかった、血の繋がらない家族だった。愛していたと思う。彼女がいなければきっと命はなかっただろう。
「それが宿命なら」
 そう答えた。
 ここで死ぬさだめであれば、抗う理由はなく、抗っても無駄である。
 血に濡れた手で極楽浄土へ行けるなどと思ってはいない。ただ死ねばそれまでだ。死んだ後のことまで考えて生きるほど、戦国の世に立つ武将に、国主に余裕などない。
 それでもちらりと胸によぎるのは微かな未練だった。
 毛利家は今後どうなるのか。厳島は。安芸の国は。家族、というものにそれほど執着はないけれど、血縁は毛利の家であり、子孫となる。それを絶やすわけにはいかない。隆元は無事だろうか。
「ずっと一緒にいましょうか」
 女の声が響く。ゆらゆらと波にたゆたう。元就は真っ白な世界の中で必死に目を凝らして、声の主を探した。
「何者か」
「いつも一緒にいた」
「知らぬ」
 妻ではないし、下女の声などいちいち覚えてもいない。
 女は笑ったようだった。
「私の眷族になる。人であって人でない。厳島という私を守り、祈る、守護者になる。いつも孤独なら、何も寂しくない」
 孤独、という言葉にびくりとする。
 ひとりで良い、と思っていた。ひとりぼっちだ、などと詰られた時もあった。これからもひとりなのだと突き付けられた。けれど、実は元就は、そうではないことを知っていた。
「戦が終わるのならば、もう少し愛されてもいい。もう少し愛してみては?いつかあなたの前に、似て非なる者が現れるかもしれない。そうしたら、ふたりで外へ出て行ってもいいのよ」



ああ、何を言っているのかさっぱり理解できぬ。



 目を覚ますと横にしていた顔が柔らかなものに乗せられていて、元就はぎょっとして体を起こした。ちかちかと奇妙な模様がまぶたの裏に浮き出てはじんと目玉が痺れたように痛い。一度ぎゅっと目をつむってから再び開けると、すでに朝の気配が近づいていた。
「夢を見ていたの?眩しい、眩しいって寝言を呟いていた」
「そなたのせいであろう」
 振り返るとやけに古めかしい、貴族のような格好の女がくすくす笑っている。
「教えてあげればいいのに。手鏡は厳島の宝物で、呪いを解く方法はひとつしかないって」
 むっとしたように、元就は跳ねた髪を手で押さえつけた。
「盗人を助ける必要などない」
「自分と同じでいてほしいから?いつか鬼はここへやってくる。あなたが自分と同じように老いない体だと知っているから、浚いに来るかもしれない」
「何故だ?」
「それを聞くの」
「あれは敵ぞ。互いに殺し合いをした。決着はつかなんだが。我を殺しに来るならば分かるが浚いに来るとは何だ」
「肝心なところだけ考えるのを放棄するのね」
 これだけ遠くに離れているだろう、鬼の考えが、私にも分かるのに、と女神は言う。




 呪いを解く方法を知っているとすれば、元就様だけだろう、と弟は言った。
「やはりそうか・・・。父上のご機嫌は直っただろうか」
「兄上は鬼の呪いを解いてやることに賛成なのですね?」
 それは人ならざる身が人に戻ることを意味する。
「おまえは違うのか?」
 不思議そうに聞く隆元に、隆景は元就によく似た顔立ちで僅かにうつむいた。
「しかしこのままでは父上はいずれひとりぼっちですよ」
「・・・・・・それは、我々がいつかは老いて死に絶えるからか」
「それに父上はきっと鬼がやってくるのを知っている」
「知っている?」
 やけに確信を持って言ってのけるものだ、と怪訝に思った。
「だから厳島からお出にならないのでしょう。父上ともあろうお方が、徳川の監視の目をくぐれぬとお思いか?」
「・・・・・・それは、どうだろうか」
「兄上は父上の力量をまだ見くびっておられる」
 隆景の口調に嫌みはない。ただ本心を述べている、ただそれだけのようだ。だから隆元も怒りを感じない。自分の無能さや頼りなさは誰よりも知っている。
「さて、鬼を味方につけるか、徳川家康の友情とやらのために父上の意に沿わぬ真似事をするか。結論はひとつしかないではありませんか」
 二者択一のようでいて、はじめから選ぶ答えは決まっているようだ。




**************************


だいたい想像通り。
続きは来週・・・かな・・・?







 

隔てた世界 7


 暗い緑色をした海を見下ろしながら元親はぼんやりと思う。
 いつでも同じ表情。いつでも同じ声音。いつでも同じ目。
 いつでも同じ美しいかの男。
 ようやく嵐が静まった朝の波は穏やかで、多少高くはあるけれど心地よい揺れに瞼が重くなってくる。
 いつでも同じ。
 自分も、おそらくあの男も。




 何とか口添えをしてもらえないか、とダメ元で隆元あたりに頼んでみよう、といまいち頼りない決意をしながら、家康は案内された宴席を抜け出して冷たい廊下をひとり歩いていた。すっかり日の暮れた厳島の境内には橙色の灯が計算され尽くしたような間隔でゆらゆらと揺れている。確かにそこここに人の気配はするものの、ひどく静かだ。空気も冷え切っていて、すぐさま酔いはさめていく。波のざざざ、という音が心地よい。あの男は日輪を愛しているけれど、こうして群青色に染まり、波の音だけが響く夜もきっと好ましく思っているに違いない。そう確信するほどに。
 もう少し近くで海を見よう、と能舞台へと足を進めていると、ぼんやりと白いものが浮かび上がっているのに気づいてぎょっとした。
 まさか神聖な場所で幽霊などと遭遇するはずがあるまい。気を取り直して近くへ寄って行く。おぼろげだった白い影は少しずつ人の形を作り出し、近づいて見ると何のことはない、緋袴姿の女が扇を手に神楽舞の練習をしているのであった。床につくほどの長い黒髪をひとつに垂らし、ああでもないこうでもないと扇をくるくるまわしては首を傾げている。背格好は普通だが、月明かりに照らされた顔は愛らしく、十代のようにも二十代のようにも見えた。思わず足を踏み出した家康だったが、どう声をかけていいか分からずそっとその場を離れることにする。邪魔をしないほうが良いだろう。
 あの女性は誰だろうか。毛利縁のものか、巫女か。
(厳島に巫女がいただろうか?)
 だが人手がいるならば、神官の身内がそれを手伝うこともあるだろう。
 潮の香りをふんだんに胸に吸い込んで、そろそろ戻った方が良いだろう、ときびすを返したところで、宴席にあてがわれた部屋の方角からひとりの男が足早に近づいてくるのが見えて立ち止まった。
「隆元殿」
「家康様こちらにおいででしたか。急にお姿が見えなくなったものですから」
「すまない、少し風に当たりたくなって」
「ならば良いのですが」
 お加減でも悪いのか、と心配そうに顔をのぞきこんでくるので、笑って首を振った。
 年は同じくらいだろうか。毛利元就の嫡男にしてはあまり似ていない。温和な物腰に柔らかい表情。少々神経質なところも見て取れるが、元就とは違った意味で良い主君なのだろう、家臣からも慕われているようだった。
 彼は長く人質の身にあったというから、そのあたりも妙な親近感がわく。彼の方はそんなことはないだろうが。
「お父上のご機嫌はどうかな」
 あえて軽い口調で尋ねるが、隆元はひどく真面目な顔で申し訳なさそうに首をすくめた。
「申し訳ございません。父は酒の席はお嫌いなのです」
「いや、それは知っている。明日、またわしと話をしてくれるだろうか?」
「ご命令とあれば」
「いやそうではなくて・・・」
 わざと言っている様子ではない。真面目な隆元は本気で、それは天下人としての命令なのだろうかと聞いているのである。融通が利かないというかずれていると言うか。必要以上にびくびくしないでほしい、と家康は思うのだが、それは酷というものだろう。自分の指先ひとつ、鶴の一声で毛利家の取り潰しができると彼は思っている。それは正解だ。ただし、できることとやっていいこと、そしてやらなくてはならないことはまた別問題である。それを知っているからこそ元就は悠然と構えているのだろうし、堂々と逆らいもする。
 もうこの世において、そんな真似をするのは元就くらいではないだろうか。
「隆元殿。わしはどうしても友を助けたいのだ」
「友、とおっしゃいますと・・・・・・」
 言いづらそうに口ごもる。毛利家にとって長曾我部という名は文字通り鬼門なのだろう。
「おまえの父君が老いないのは宝具の呪いではない、と聞いた。だが元親が何故そうなったのか・・・あの手鏡が原因ならまずそれを取り返さなくてはならない」
「おそれながら。取り返す協力を毛利にせよとおっしゃるのですか?」
「いや、とりあえず、その手鏡がこの厳島から持ち出されたものであることの確認と、本当に不老の呪いがかかっているのならそれを解く方法が知りたいのだ」
「不老は呪いですか」
「わしはそう思う」
 はっきりと言い切った家康に、隆元は驚いて、わずかに目を見開いた。
「不老不死は人としての悲願ではありませぬか?」
「そう思うか?」
「・・・・・・・・」
 改めて正面から問われると、戸惑う。
 隆元は脳裏に偉大な父の姿を思い浮かべる。
 自分が幼いころから変わらぬ美しい姿。それを呪いと呼ぶにはあまりにも神々しく、似つかわしくない。しかし元就も家康も、老いないということは呪いだと言う。
 父は呪われているのか?
「ああ、そう言えば隆元殿。先ほど能舞台でおなごが舞の練習をしていたぞ」
「・・・・・・おなご?」
 はて、と首を傾げる。世話役の女はいくらかいるが、舞を踊るようなものはいないはずだ。
「どういう女でしたか?」
「ここの巫女なのだろう」
 当然のように言い放つ家康に違和感をおぼえる。
(私の知らない女が厳島に出入りしている?)
「そろそろ戻ろう。みな心配しているかもしれない」
 明日もう一度元就の機嫌を伺ってみよう、とことさら明るく言う家康に、隆元はうなずくしかなかった。
 彼についていこうとして、どうしても気になってひとり能舞台の様子を見に行くことにした。ついでに宝物殿の記録も調べてこよう。隆景に探させているのなら、彼に聞くのもいいだろう。今頃になって、はじめから自分でやっておけばよかった行動を思いつく自分が情けなかった。まるで頭がまわっていない。
 これだから、いつまでも父に頼ることになるのだ。
 能舞台に、ぼんやりとした灯りがうごめいている。




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コンセプトは「好き勝手だらだら書く」です(超今更)











 

 

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