暗い緑色をした海を見下ろしながら元親はぼんやりと思う。
いつでも同じ表情。いつでも同じ声音。いつでも同じ目。
いつでも同じ美しいかの男。
ようやく嵐が静まった朝の波は穏やかで、多少高くはあるけれど心地よい揺れに瞼が重くなってくる。
いつでも同じ。
自分も、おそらくあの男も。
何とか口添えをしてもらえないか、とダメ元で隆元あたりに頼んでみよう、といまいち頼りない決意をしながら、家康は案内された宴席を抜け出して冷たい廊下をひとり歩いていた。すっかり日の暮れた厳島の境内には橙色の灯が計算され尽くしたような間隔でゆらゆらと揺れている。確かにそこここに人の気配はするものの、ひどく静かだ。空気も冷え切っていて、すぐさま酔いはさめていく。波のざざざ、という音が心地よい。あの男は日輪を愛しているけれど、こうして群青色に染まり、波の音だけが響く夜もきっと好ましく思っているに違いない。そう確信するほどに。
もう少し近くで海を見よう、と能舞台へと足を進めていると、ぼんやりと白いものが浮かび上がっているのに気づいてぎょっとした。
まさか神聖な場所で幽霊などと遭遇するはずがあるまい。気を取り直して近くへ寄って行く。おぼろげだった白い影は少しずつ人の形を作り出し、近づいて見ると何のことはない、緋袴姿の女が扇を手に神楽舞の練習をしているのであった。床につくほどの長い黒髪をひとつに垂らし、ああでもないこうでもないと扇をくるくるまわしては首を傾げている。背格好は普通だが、月明かりに照らされた顔は愛らしく、十代のようにも二十代のようにも見えた。思わず足を踏み出した家康だったが、どう声をかけていいか分からずそっとその場を離れることにする。邪魔をしないほうが良いだろう。
あの女性は誰だろうか。毛利縁のものか、巫女か。
(厳島に巫女がいただろうか?)
だが人手がいるならば、神官の身内がそれを手伝うこともあるだろう。
潮の香りをふんだんに胸に吸い込んで、そろそろ戻った方が良いだろう、ときびすを返したところで、宴席にあてがわれた部屋の方角からひとりの男が足早に近づいてくるのが見えて立ち止まった。
「隆元殿」
「家康様こちらにおいででしたか。急にお姿が見えなくなったものですから」
「すまない、少し風に当たりたくなって」
「ならば良いのですが」
お加減でも悪いのか、と心配そうに顔をのぞきこんでくるので、笑って首を振った。
年は同じくらいだろうか。毛利元就の嫡男にしてはあまり似ていない。温和な物腰に柔らかい表情。少々神経質なところも見て取れるが、元就とは違った意味で良い主君なのだろう、家臣からも慕われているようだった。
彼は長く人質の身にあったというから、そのあたりも妙な親近感がわく。彼の方はそんなことはないだろうが。
「お父上のご機嫌はどうかな」
あえて軽い口調で尋ねるが、隆元はひどく真面目な顔で申し訳なさそうに首をすくめた。
「申し訳ございません。父は酒の席はお嫌いなのです」
「いや、それは知っている。明日、またわしと話をしてくれるだろうか?」
「ご命令とあれば」
「いやそうではなくて・・・」
わざと言っている様子ではない。真面目な隆元は本気で、それは天下人としての命令なのだろうかと聞いているのである。融通が利かないというかずれていると言うか。必要以上にびくびくしないでほしい、と家康は思うのだが、それは酷というものだろう。自分の指先ひとつ、鶴の一声で毛利家の取り潰しができると彼は思っている。それは正解だ。ただし、できることとやっていいこと、そしてやらなくてはならないことはまた別問題である。それを知っているからこそ元就は悠然と構えているのだろうし、堂々と逆らいもする。
もうこの世において、そんな真似をするのは元就くらいではないだろうか。
「隆元殿。わしはどうしても友を助けたいのだ」
「友、とおっしゃいますと・・・・・・」
言いづらそうに口ごもる。毛利家にとって長曾我部という名は文字通り鬼門なのだろう。
「おまえの父君が老いないのは宝具の呪いではない、と聞いた。だが元親が何故そうなったのか・・・あの手鏡が原因ならまずそれを取り返さなくてはならない」
「おそれながら。取り返す協力を毛利にせよとおっしゃるのですか?」
「いや、とりあえず、その手鏡がこの厳島から持ち出されたものであることの確認と、本当に不老の呪いがかかっているのならそれを解く方法が知りたいのだ」
「不老は呪いですか」
「わしはそう思う」
はっきりと言い切った家康に、隆元は驚いて、わずかに目を見開いた。
「不老不死は人としての悲願ではありませぬか?」
「そう思うか?」
「・・・・・・・・」
改めて正面から問われると、戸惑う。
隆元は脳裏に偉大な父の姿を思い浮かべる。
自分が幼いころから変わらぬ美しい姿。それを呪いと呼ぶにはあまりにも神々しく、似つかわしくない。しかし元就も家康も、老いないということは呪いだと言う。
父は呪われているのか?
「ああ、そう言えば隆元殿。先ほど能舞台でおなごが舞の練習をしていたぞ」
「・・・・・・おなご?」
はて、と首を傾げる。世話役の女はいくらかいるが、舞を踊るようなものはいないはずだ。
「どういう女でしたか?」
「ここの巫女なのだろう」
当然のように言い放つ家康に違和感をおぼえる。
(私の知らない女が厳島に出入りしている?)
「そろそろ戻ろう。みな心配しているかもしれない」
明日もう一度元就の機嫌を伺ってみよう、とことさら明るく言う家康に、隆元はうなずくしかなかった。
彼についていこうとして、どうしても気になってひとり能舞台の様子を見に行くことにした。ついでに宝物殿の記録も調べてこよう。隆景に探させているのなら、彼に聞くのもいいだろう。今頃になって、はじめから自分でやっておけばよかった行動を思いつく自分が情けなかった。まるで頭がまわっていない。
これだから、いつまでも父に頼ることになるのだ。
能舞台に、ぼんやりとした灯りがうごめいている。
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コンセプトは「好き勝手だらだら書く」です(超今更)