「隆景が?」
無表情のまま問う元就に、隆元は平伏していた体を起こすとうなずいた。
「はい。御心配には及びませぬ。単なる海賊討伐の船団を指揮するだけのこと」
「否、心配などはしておらぬが。そうか」
何か言いたそうに細めた目を、隆元はどうにか堪えて正面から受け止める。しばらく無言で見つめ合い、元就は仕方なさそうに小さく嘆息した。
「まあ良い、それで徳川はいかにしておる」
「はい、呪いを解く方法はこちらで文献をひもとくゆえ、とりあえずは手鏡を奪い返すための算段を練るよう進言致しました」
「ふん」
鼻で笑って、茶番ぞ、と呟くのを聞こえぬふりをした。
「雑賀衆の力を借りるようです。そろそろ出立の時間かと。お見送りなさいますか?」
「誰が?我がか?」
「・・・・・・いえ、失礼つかまつりました」
わざとらしく聞き返す元就の、機嫌がほんの少し下降したのを敏感に察知して頭を下げる。では、と立ち上がったところで、失礼する、と許可を求める声と同時に部屋の扉が開かれた。まるで声をかける意味がない。
「毛利殿」
「無礼な、と言いたいところだが大目に見てやろう。準備が済んだのであれば去るが良い」
ひらりと手をぞんざいに振る元就に歩み寄り、家康はにこにこ笑いながら、有無を言わせぬ口調で彼の細い手をとった。
「一緒に来てほしい」
「・・・・・・・何だと?」
険しい目でじろりと睨んだ。隆元は予想外の状況におろおろするばかりだ。誰か止めてほしい、と思ったが、真っ先に激高して止めにかかるだろうすぐ下の弟も、冷ややかに制止するだろうその下の弟もここにはいない。重臣たちは元就をおそれながらも天下人たる家康を止められるはずがない。
「貴様、戯言も大概にしろ。なにゆえ我がわざわざ出向かねばならぬ」
「わしは元親に会いたいのだ」
「ならば探せば良いではないか」
「いや、仮に見つけたとしてもあいつは江戸へ来てくれないだろう。だがあなたがいると知れば会いに来てくれる可能性が高い。否、必ずきてくれる」
「要は人質というわけか。だがやつめの容姿が変わらぬことを貴様の配下たちはおそれておるのであろう?ならば我もまた同じ事。人目に晒されるのは好かぬ。それとも嫌がらせのつもりか」
何故、元親が元就に会いに来るなどと思うのか。
何故、誰もかれもが理解不能なことを語るのか。
苛立たしげに掴まれた手を離そうと腕を引くが、たくましい腕にがっちり捕えられて身動きができない。さっさと誰か助けろ、と殺意に似た怒りを込めて周囲を見渡すが、隆元をはじめとした毛利の連中は戸惑うばかりだ。
(役立たずどもめが)
胸中で知る限りの罵詈雑言を吐いてから家康の返事を待つ。
これが家康の、元就へ対する子供じみた仕返しだと言うのならば相応の対処を考えねばならない。江戸へ連れて行き軟禁状態にするつもりかと誰もが緊張した面持ちでふたりを眺めやる。しかし家康ははっとしたように手を離すと、困ったな、と苦笑して頭をかいた。その仕草は昔の、若かりし頃の癖そのままで、何も変わらない。
「大丈夫だ、毛利殿だと分からないよう手配する。屋敷の中ではわしのみが立ち入ることができる範囲内で自由にしてくれて構わない。うるさい年寄りどもも寄り付かない大事な一角が確保されているんだ。元親も、江戸で過ごすときはそこに寝泊まりしていたんだ」
下手に騒ぎになってしまったから、もうそこにいれば良いというわけにもいかなくなったのだ、と家康は言った。
「我を鬼を呼び寄せる餌とするか」
「言い方は悪いが、そうだ。その程度のことはいいだろう?そうでもしないと元親はわしに会いに来てくれない」
元親元親と、名を連呼する家康を元就は心底軽蔑するような目で見た。
馬鹿馬鹿しい、と思う。
「我が江戸にいるなどと鬼は知るまい」
「いいや、必ず来る。あなたに別れを告げに」
「・・・・・・・別れ」
「手鏡を奪い返し呪いを解く。そうすれば元親の不老の呪いは解かれ、普通の人としての時間がまた進み始める」
切ないような、それでいてどこか誇らしげな顔で、家康は元就を見た。
「そうすれば、毛利殿、あなたと元親は生きる時間がずれていく。あいつは老いてあなたは若く美しいままだ」
「・・・・・・・・・」
鬼は人になり、人は人ならざる神の眷族と永遠を共にすることはできない。
家康が、元就の老いぬ理由を知ったわけではない。けれど元就は呪われたわけではなく、元親とは違う理由で若さを保ったままだと本人の口から聞いたのだから、元就が人であって人ならざる身であることを察知したのだろう。
そして我々とは違う時間を生きる者なのだと。
だから別れを、と。
当たり前のことを当たり前のように、残酷に告げる。
「一緒に来てほしい。決して不自由はさせない。不快な思いもさせない。徳川が接収した厳島の宝具の取り扱いについて助言をするために江戸へわざわざ来てくれた。わしが呼び寄せ歓迎しているのだと、そういうことにする」
誰にも文句は言わせない、と強い目が言う。
(だがそれは我のためではないではないか)
体の芯が、臓腑がひやりと冷たくなっていくのを元就は感じた。
騙され自分を殺そうとした友と会うため。
そしてその友とまた同じ時間を生き、杯を交わすために何でもやるのだとそう言う。
「貴様は相変わらずだ。結局かつての戦のときと同じよ。私情とそうでないものとを一緒にすれば混ざり合うとでも思っているのか」
「大事なものはなにひとつ失いたくないだけだ。そのためならわしはどんな我が侭でも通す。そのために天下を手にしたのだから」
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家康に悪気はありません。
元親と会いたいだけなんだよ。
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