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おおきくすっ転んでスリーアウトチェンジ

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隔てた世界 2

 家というものは代替わりするものである。元服して三十年もすれば次代に引き継ぐのが妥当だろう。しかし、毛利家新当主毛利隆元は考える。
 毛利家は、そしてこの中国は、誰のものだろうか、と。
 たし、と踏みしめる冷たい板の廊下を渡り、涼やかな潮の風を受けながら御簾が垂らされた奥座敷へと向かう。ちっぽけな庵は隆元が息子を元服させたと同時に改修して屋敷とした。知らぬ者が見れば社を守る神官の住まいだと思うかもしれない。だがこの奥屋敷は神聖な場所とされ毛利の身内とごく僅かな許された者しか立ち入りができなかった。ふと鼻をくすぐる香がたちこめているのに気づく。まるで海の匂いをかき消すように、それは昼夜問わず常に焚かれていた。いつからだろう、何かを待ち切れぬと、そうして常に香を聞くようになったのは。
「失礼つかまつります」
 御簾の前で膝をつき平伏すると、ぬ、と白い腕が伸びて豪奢な打ち掛けの袖と共にそれが御簾を開いた。ふわ、と伽羅香が一瞬強くなる。
「お客様?」
 高くも低くもなく、ただ品良く落ちついた女の声。
 はっとして顔を上げる隆元が目にしたものは、童女のような熟した女であるような、何とも不思議な雰囲気を持つ美しい女だった。思わずぽかんと目と口を開いて間の抜けた顔を晒すも、慌てて居住まいを正して頭を下げる。
「申し訳ござりませぬ。とんだ無礼を」
「え?」
 女は小さく声をあげて首を傾げたようだった。
「良い、入れ」
 奥から知った声がする。低く落ちついた声音は戦場を駆けていた頃よりはずっと穏やかではあるが、拒否を許さない威圧感は健在であった。無意識のうちに背筋を伸ばし唾を飲み込む。この厳しい父親に、幼いころからどれだけ叱責されてはひとりしくしくと泣いたことだろう。しかし長い人質生活の中でいつも思い出す家族のぬくもりはその父親の恐ろしい顔と声だったことも確かである。誰もが、人形のようだ、とため息をつく美しい容姿と冷酷な目つき。畏れてはいたが誇らしくもあった。血を分けた親子ながら、神のような人だと何度となく思ったことか。
「お客人でございますか」
「気にするでない」
 おのれがこの世に生を受けて三十年近く。目の前に座っているのは少しも変わらぬ容姿を保つ父である。すでに現在の自分より年下にすら見える。
 こざっぱりとした羽織袴姿に胡坐をかき、脇息に持たれて膝の上にある巻物を解いており、案外と崩した様子に隆元は複雑な思いを抱いた。
 まず目の前のこの女性は誰なのか。誰かに似ているようだが見覚えはない。さらに、女の前でこれだけくつろぐ父の姿というのも珍しい。たとえ身内の前であろうとほとんど姿勢を崩す事のない男だ。
 脳裏にあらゆる疑問を浮かべる隆元はその通りの表情を浮かべていたのだろう、女ががくすりと笑って口元を袖で抑える。
「退屈しのぎはお済みのようで」
「え、」
 あ、と隆元が声をかける暇もなく、女は元就に挨拶のひとつもせずに出て行ってしまった。風のような、あまりに自然な動作に引きとめる言葉すら出て来なかった。
 慌てて隆元は元就ににじり寄る。
「父上、あの女性はいったい」
「隆元。そなた、何か我に報告することがあるのであろう」
「は」
 遮られてしまってはそれ以上何も尋ねることはかなわない。それは聞くな、という意味なのだろうと隆元は理解した。すでにとうの昔に正妻である隆元の母は亡くなっているし、側室は何人かいるがそれぞれ子育てにいそしんでいる。いまさら若さと美貌を保ったままの父に新しい妾ができようとそれをどうこう言う者はいない。
 ただ、ひどく不思議な女だった。まさか遊女の類ではあるまい。貴族のような気品に満ちており、育ちの良さが滲み出ていたし、娼婦特有のいやらしい色香は感じられなかった。童女のようだ、と一瞬でも思ったのはそのためだろう。
「江戸より文が届いております」
「・・・徳川か」
「は」
 細い眉がぴくりとわずかに跳ね上がった気がして、隆元は目を伏せた。明らかに元就の機嫌が急降下するのが分かる。
 名家である大毛利の頭を押さえつけ監視しているのが徳川だ。恭順の意を示しているとはいえ、敵視しているのは双方ともに分かりきっている事。それでも緊迫した危ういバランスの上にふたつは繋がっている。やがて日の本が安定し戦の火種が尽きた頃には、毛利家は取り潰される可能性が大いにある。そのための先手を、果たして元就が打てずにいようか。
 隆元と毛利の家中が不安に思いながらもどこか安穏としているのは全て元就の存在に寄るところが大きい。すでに隠居した身である彼にいつまでも頼るわけにはいかないのだけれど。
「何故そなたがわざわざ届ける必要がある。そなたは毛利の当主ぞ。そう易々と雑事を引き受けるでないわ」
 斯様な事は家臣にやらせよ、と言外に叱責する父に平伏しながら、隆元はしかし、と何とか気持ちを奮い立たせて反論を試みた。
「文は毛利家当主へ宛てたものですが、元就公へ助言を請うと書いてあるのです」
「くだらぬ。破り捨てよ」
 吐き捨てる様に言い放ち、ぞんざいに手を振って元就は面倒な顔をした。まるで勉強を嫌がる子供のような仕草に、父は中身と行動とついでに外見がかみ合っていないのだと心の中で苦笑する。
「そういうわけにもいきますまい。さあ父上」
 駄々をこねないで下さいと声に出しては言わずつきつける文を、元就は心底嫌そうに受け取った。
 彼が書くよりはずっと短い、それでも見た目には長々と書かれたそれをざっと斜め読みしてから、元就はぽいとそれを放り投げた。
「よいのですか?」
「良い」
 つんと顎をそらして、元就は脇息を押しやるとぺたりと畳の上に寝そべるようにして上体を倒してしまった。具合でも悪いのかと慌てて顔をのぞきこんだがどうやら脱力しているだけのようだ。
(本当に、珍しいことだ)
 長年の疲労が溜まっているのだろうか、とも考えたが、それよりもずっと穏やかな表情と雰囲気に彼は今まで気を張っていただけなのかもしれない、と思い直す。中国と毛利家の未来は今でも元就の肩に乗ってはいるが、世代交代を鮮明にしただけでもいくらか重荷が和らいだのかもしれない。そうだといい、と隆元は微笑む。
 そして放り出された文を取り上げると徳川家康の花押をしっかりと確認してから、置いた。
 ふわり、と御簾が揺れる。
 しばらく沈黙がおりて、波音だけが微かに伽羅香に包まれた部屋を満たしていった。
「・・・・・・父上」
 痺れを切らしたように隆元が声を上げた。
 怖々と父の顔色をうかがう。白い顔に浮かぶのは紛れもない嫌悪だった。
 やがて元就はがさりと文を乱暴に握りしめた。細い手の甲の青い筋が浮かぶ。何とも言えない色香が一瞬殺気だったように思えた。
「狸め」







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