家康のもとに一通の手紙が届いたのは、茶室で元就と話をしてから三日後のことだった。送り主は雑賀孫市。待ちかねた、雑賀衆頭領からの定期便である。三月に一度ほど、進捗の報告が送られてきてはいるがこれまでほとんど何の成果もあげられないことに、家康も、そして孫市自身ももどかしさを感じていた。
雑賀衆は関ヶ原での戦がうやむやのうちに終わり徳川の天下へと時代が移って以降、傭兵集団というよりも情報を主に取り扱う貿易集団へと変化を遂げていた。独自の海運ルートを持ち、外国との交易も行っている。それと同時に国中に錯綜するあらゆる情報を仕入れ、高く売ることを生業としていた。それでも必要とあれば軍事集団としての活動も行っている。また信頼のおける依頼人であれば、小さな仕事も請け負っていた。
元親から手鏡を奪った盗人を捕え、手鏡を取り戻す事を依頼していた家康だったが、ただそれだけのこと、と高をくくっていたのが間違いだったようだ。江戸中に監視網を敷いて犯人を捜したが彼らの網にかかることはなく、すでに江戸の外へと捜索範囲を広げている。しかし目撃証言があるわけでもなく頼りは酔っぱらった元親の証言だけでひどく難儀な失せ物探しであった。
「家康様。いかがされました?」
手紙を読みながら眉間に皺を寄せる家康に、側近が声をかける。
「ううん・・・。少し引っ掛かることがあってな。それより、安芸の方はどうだ?」
「は、毛利家はおとなしくしているようですが」
「不審な動きはないか」
「と、申されますと」
「いや・・・・。元就殿を取り返そうとか、彼が死んだような風聞が流れているとか」
「風聞についてはちらほら、単なるうわさ話の域を出ません。しかし毛利家内部は魔窟のようなもの。すでに隠居したはずの毛利元就の元固い結束は揺るがず、身内の中でもごくごく僅かな間柄にしか本音を漏らそうとはしませぬ。内部に潜り込んだ草ですら内情はまだとらえられておらぬ様子」
「うん」
そうだろうな、とうなずく。毛利家の中枢は得体の知れぬ別世界のようなものだと認識している。元就の嫡男であり現毛利家当主の隆元は素直な男のようだったが、両川と呼ばれる彼の弟たちが問題だ。武の吉川元春、智の小早川隆景。特に隆景については元就の知略を濃く継いでいる。彼は数年前から、水軍を率いて海賊討伐にいそしんでいるようだ。
「一度孫市を呼び寄せよう。手配を頼む」
「はっ」
平伏し、静かに駆けだす配下を見送って、家康は姿勢を崩すと脇息にもたれて嘆息した。
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ひとつ、一度掴みかけた宝具の行方が突発的事態のせいでうやむやになった。
ふたつ、確かに毛利家は呪いを解く方法を文献の解読から行ってはいるようだが、それにしてはのんびりしている。
みっつ、毛利元就が江戸に軟禁されているという噂が西国で流れている。
三つの情報をもたらした孫市を見て、家康はいよいよ顔をしかめた。
対座しているのは雑賀衆をまとめる女頭領、孫市だ。優に三十は超えているだろうがその若々しさも雄々しさも何ら損なっておらず、かえって生き生きとしているように見える。戦う女はいつまでも美しいものなのだろうか、とちらりと思った。
挨拶もそこそこにこれらの話を端的に伝え、じっと家康の反応を待つ。
「・・・・・とりあえず、詳しく聞かせてくれ。宝具の行方は見つかりそうになったのだな?」
「ああ。だが肩すかしをくらった。どうやら邪魔をする者がいるようだな」
「何?」
どういうことだ、と身を乗り出す家康に、孫市はずずずと茶を啜ってから楊枝を刺した羊羹を手に取る。
「ふむ、さすがは良い菓子だ」
元親が酔って失くした手鏡は、事実、通りすがりの泥棒が適当に盗んだ品物の中にあった。元親の証言はあまりに曖昧でふわふわと捕えどころのないものだったが、一点だけ特徴があったという。
「刺青?」
「そうです。こんなふうに、」
と、隆景は筆でさらさらと紙に見聞きした模様を描いていった。それは角の生えた馬のような、竜のような、実に奇妙な獣だった。見たこともなければ聞いたこともない。想像上の妖怪か何かなのだろう、と彼は言った。奇妙な絵をじっと見つめ、隆景のすぐ上の兄が面倒そうな顔をする。
「こいつを探せって言うんだな。けれどこの日の本中捜しまわれっていうのは無茶だ」
「いえ、実は草の者を東へやって調べさせたところ、ここ十年ほど江戸近辺で活動している盗賊集団が皆そろってこの痣のような刺青を体のどこかに彫っているらしいのです。きっとその中に手鏡を盗んだ者がいるはず」
「じゃあ宝具を取り返したも同然じゃないか。すでに監視させているんだろ?」
「はい。しかし雑賀衆に先を越されるわけにはいきませんので、少しばかり罠を張らせてもらいました。その隙に兄上は東へ行って鏡を取り戻して頂きたいのです。もちろん徳川には内緒で」
「・・・・・なあ、徳川や雑賀に知られずに手鏡を奪還して、それでどうなるんだ?」
「どうにも。彼らは見つかるはずのない宝具を探し求め続けるでしょうし、手鏡は元の通り厳島の宝物殿へ納めておしまいですよ」
「分からねえ。鬼にかかった不老の呪いを解きたくない、てのは理解した。だが宝具を徳川に取り返させないことがどんな意味を持つんだ」
首を傾げて足を投げ出す元春に、隆景は彼以上に面倒そうな顔をしてみせた。むっとして弟を叱り飛ばそうとしたが、結局口論では弟に叶わないことは昔から知っている。お互いもういい大人なのだから、いちいち喧嘩をするのもどうか。
「呪いを解く方法を探してはいるが未だ文献の解読が進まない、という理由で待ってもらってるんですよ。いつまでも通用するわけがないでしょう。そろそろ、それなら文献ごと寄こせと言ってくるに決まっている。もしそうなったとして、文献を奪われても肝心の宝具がなければ彼らは長曾我部元親にかけられた呪いを解くことはできないんです」
「ちなみにその文献には、呪いを解く方法は書いてあるのか?」
「ありますよ」
あっさりうなずく隆景に、元春は目を剥いた。
「・・・・・・やっぱりすでに解読は終わってたのか」
「ええ。これまで解読は我々が、手鏡を取り戻すのは徳川が、と役割を分担してきましたが、あれからもう一年、そろそろ徳川も焦れてくる頃です。先に手を打たねばなりません」
隆景はにこりと笑う。それは父、元就が敵を策に陥れたときと同じ冷酷な笑みだ。背筋が凍るような、それでいて美しい。
「雑賀衆はその規模の小ささから、情報収集にはあらゆる情報網を敷いています。そこに潜り込んでさも協力すると言う顔をして手伝って差し上げたんですよ。適当にね。ああ、ちゃんとこちらも実際に全国を歩いて情報のやりとりを生業としている氏子集団を使いましたのでご心配なく。つまり雑賀の動きは筒抜けです」
そろいの刺青をした盗賊集団の偽ものを仕立てあげ、そちらへ雑賀の目をそらす手筈を整えたのだだと言う。
「では兄上、よろしくお願いします」
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ところでこのたらったら書いてるSSもどきをここまで読んでくれてる人いるのだろうか(笑)
続きは来週、になるかも~