「おそらく一瞬の迷いが判断を誤った。これは我ら、いや、私の責任だな」
ぱくりと羊羹をひとくちで飲み込んで、孫市は表情を変えずにそう言った。
「得られた証言通り、盗賊集団の隠れ家を襲撃し彼らを捕えた。盗品の山も隠されていたので間違いないと思ったがのだな」
「間違えた、と」
戸惑いの表情を浮かべる家康に、孫市はためらいもなくうなずくのだった。
「統一された模様の刺青、ここ最近江戸近辺に出没している盗賊集団、隠れ家の場所。全ての情報を繋ぎ合わせて向かったが、我らが探していた者たちではなかった。確かに入手した絵の模様に良く似てはいたが、どうやら微妙に別系統だな」
「どういうことだ」
「ひとつの首領から枝分かれした集団だな。だから刺青が似ていたのだろう」
「では似た盗賊たちを探せば」
済む話だ、という家康に、孫市は何かを言いかけて、黙り込んだ。彼女の何か窺うような視線に多少居心地が悪くなって身じろぎする。脇息に持たれるような真似はしない。確かに家康は天下人だが、雑賀衆とは契約を結んだ間柄である。主従というのとは違う、と思っている。それでも命令すれば徳川の名の元に彼らを消滅させることもできるだろう。それだけの権力がある。しかし行使するつもりは無論なかった。個人的な味方をひとつ失くすだけだ。つまり、雑賀孫市とは対等なのだ、と今でも思っている。
(彼女はどうか知らないが)
「先ほど言っただろう。何者かに邪魔をされているのではないか、と」
「あ、ああ」
どこか見透かすように、孫市が目を細めた。内心思っていたことを悟られたのではないかとどきっとする。
「心当たりはないか」
「と、言うと?」
「宝具を取り返すのを快く思わない連中に心当たりはないか、という意味だ」
「・・・・・意味が分からん。何故そんなことを?」
「・・・・・・・・・」
邪魔をされるいわれはない、と心底不思議そうな顔をする家康だったが、まさか、と青ざめる。
「もしかして元親は呪いを解こうとしていない、のか」
それなら辻褄があう、と腕を組む。
もし、元親が不老の呪いを解きたいと思っていないのならば。失くしたというのは嘘で、手鏡は元々彼の知り合いか、盗もうとした盗賊にはいどうぞとあげた可能性はないだろうか。
元親の呪いを解きたい、と願っているのは家康である。だが元親自身の口から、そうしたいと聞いたことはなかった。
もうここにはいられない。
それを聞いた時、彼は悲しんでいるのだと、友である家康ともう会えないだろうことを寂しがってくれているのだと勝手に信じ込んでいた。だがもし、そうでないとしたら?確かに寂しがってくれていたとはいえ、不老のままで良いと思っているのだとしたら。
「わしは、自分の都合で、元親の意に沿わぬことをやっているのだろうか」
もしそうだとしたら、これまでのことは何だったのか。救いたい、いつでも彼の帰る場所でありたいと願っていた自分は浅はかだったのか。
うつむいて顔をてのひらで覆う家康をじっと眺めて、孫市はひとつ大きく息を吐くと颯爽と立ち上がった。
「何の根拠もなしにああでもないこうでもないと悩んでも無駄だ。元親のことはさておくとして、奪われたものを取り返すのが我らの仕事だ。引き続き手鏡の行方を追う」
それだけ言うと振り返りもせずに部屋を出て行く。彼女は優しい言葉をかけることも、否定することも、嘲笑うこともしない。
「ああそうだ、その前に毛利の様子でも見に行ってみるか」
あの偏屈な男は何を考えてここに留まっているのか。
家康に報告したいことは他にもあったが、急を要することではない。今は家康には落ちついて考える時間が必要だと判断した。
家康のところへ案内してくれた彼の側近に元就のことを尋ねると、会ってもよいか当人に聞いてくる、と駆けだしていく。拒否されればどうしようもない、と言外に告げられては苦笑いするしかない。家康の言い張る通り、元就は軟禁されているわけではないようである。おそらく外へ出ないのも自分の意思であり、そこには何らかの意図が隠されているに違いなかった。
彼は元親を呼び寄せるための餌、だと聞いている。そのような言い方は家康はしなかったが、そのつもりで住まわせている。だがもし元就におびきだされるように元親が現れたとして、呪いが解かれたからとそのまま彼に別れを告げる、という確証はない。
(連れて逃げる、という推測を立ててはいないのだろうか)
きっとそんな発想など家康にはないのだろう。そしてそれは驚くことではない。
長曾我部元親と毛利元就が宿敵同士であり憎み合う仲なのは誰もが知るところである。二人の間に誰も知らぬ関係があったとは孫市でさえ思っていない。命をかけてもよいがあの二人に甘い関係などありえぬ。
それでも、と万が一を思う。
【元就を浚って逃げる】ことを、そのまま彼を救いだしてふたりで仲良く生きて行くなどと夢物語ばかりに直結するわけではないのである。
そこを履きちがえてはいけない。
彼らは互いを疎ましく思い、殺し合いをする間柄である。
そこに何の変化もない。これまでも、これからも。
隆景の指示通り、つかわされた盗賊集団の隠れ家の前で、元春は数人の部下たちと身を隠して中の様子をうかがっていた。
「何だってこんなことを」
不機嫌さを隠そうともせず呟く。
「長曾我部の不老の呪いを解かないのは、父上をひとりぼっちにしないためだ、なんて隆景は言いやがる。兄上までもそれに乗った。でもさ、何で長曾我部なんだよ」
まさか自分たちの預かり知らぬ間に、二人の間に口にするも憚れるような関係が出来上がっているのではあるまいな、と一瞬だけ考えて、いやそれはありえないと首を振る。【ありえない】。それは揺るがない事実だ。だから、なおさら、理解できない。
何故、長曾我部元親でなければならないのか。
少し考えれば分かることだ、と隆景は言った。
もう何年、あのふたりを見ているのか、と、心底馬鹿にしたような目で。
「くそっ、知らねえよ」
だったら手鏡を取り返して、自分がその不老の呪いとやらにかかってしまえば、ずっと父のそばにいられるのではないか。それについての隆景の答えは保留、である。
さて、そんな簡単に人は不老という呪いにかかるものなのか。
「元春様」
部下がそっと声をかけてきた。
荒れ放題の寺院は膝丈ほどもある雑草の庭に囲まれ不気味極まりない。破れた障子戸の向こうからゆらゆらと灯りが漏れていて、中に人がいることが確認されている。近隣の村人たちは決して寄りつかないのだと言う。お上に通報しても、賄賂を掴まされてそのまま放置されているらしい。
「役立たずの徳川の世。仮初めの泰平の世だ」
天下人様はこんな山間の小さな集落のことなんて、まるで気にかけていないんだろう、ともごもご不平不満を洩らしつつそっと部下たちに合図する。まずは包囲して出入り口を固め、一気に突入する。簡単な作戦だ。策なんてあったものではない。だが猪突猛進、考えるより行動して武功をたてろ、が元春のいつもの手だ。
「行くぞ」
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ヒント:これはチカナリではありません。(別に他のCPになるというわけではない)
拍手ありがとうございます。
そろそろゴールが見えてきたかな?
続きは今度こそ来週(笑)
みなさまよい週末を。