どうしよう、と茫然としている少年を見下ろして、女はにこりと笑った。
こんな時間だと言うのに軍服を着たままだ。
それにしてもさきほど挨拶しただけの新しい部下に何の用だろう。
「あの……」
なかなか用件を切り出そうとしない副隊長に焦れて声を上げると、彼女は勝手に部屋の中へ入り、粗末な椅子に腰を下した。
「こんな時間にごめんなさいね。出直した方がいい?」
ぬけぬけとそんなことを言う。
ここへきて、じゃあ帰って下さいとは言えない。
ましてや相手は上官である。
それに、年が離れすぎているとは言え、こんな遅い時間に女性とふたりきり、という状況が兵部の冷静な判断力を失わせた。
また明日にしませんか、という一言がどうしても出てこない。
「何か、ご用ですか」
咽喉の奥に粘ついたものがへばりついたように声が掠れていた。
水が欲しい、とちらりと思う。
だが、彼女を置いて部屋を出る勇気はなかった。
「彼がね、よくあなたの話をするものだから、興味があったの」
「彼?」
どきりと心臓が跳ねた。
女は兵部の些細な反応をじっくり楽しむように、そして観察するようにじっと彼の白い顔を見つめる。
口元は笑みを浮かべているが、彼女の目がひどく冷たいことに、兵部はいまさらながらに気付いた。
瞬時に、自分は嫌われている、と察した。
自分が相手を苦手と思うとき、相手も同じ感情を抱いている。
そう思う。そしてそれはきっと当たっているのだ。
どんなに表面を取り繕ったところで、どんなに第一印象で嫌悪を抱いたことを隠そうとしても、相手が敏い人間であればきっと気づくのだろう。
「隊長のことですか」
するりと出た声は動揺を通り越して冷静だった。
副隊長はわずかに、形の良い片方の眉を上げて、うなずく。
少年の感情が一瞬波立った後にゆっくり落ち着いて行くのを感じたのだろうか。
「本当にね、電話や手紙でもあなたのことばかりなの。ねえ、彼はどんなふう?優しい?」
どんな話をするの。
叱られたことはある?
じゃあ手を握ったことは?
矢継ぎ早に尋ねる彼女が、少しずつ苛立っていくのが分かった。
それに反比例するように兵部はひどく冷静になっていく。
ああ、この女は。
(分かった、すごく不安なんだ)
馬鹿馬鹿しいとも思う。
けれど、きっと彼女は見た目ほど大人ではなく、また落ち着いた女でもないのだ。
きっとそれは見せかけだけで、小さなことでもすぐに引っ掛かってしまう性格をしている。
ヒステリー、という単語をちらりと脳裏に浮かべた。
彼女はこんな子供に、単なる部下でしかない子供に嫉妬している。
自分の知らないところで他人に優しい男を不安に感じてやつあたりをしている。
(馬鹿みたいだ)
どんどんと胸の奥が冷たく乾いていく。
兵部は顔を上げて、じっと彼女の燃えるような目を見つめた。
「隊長は僕に優しいです。他の人みたいに怒鳴ったりしないし、訓練が終わったら頭を撫でてくれる。他の軍人には内緒だよってお菓子をくれたこともある。不二子さんにも内緒の話を、こうやってあなたと話しているみたいに夜中にこっそり部屋でするんです。見張りの目を盗んで庭を散歩したこともあるし、天気のいい夜は星を見たり、川で遊んだり、あと、それから……」
抱きしめてくれたり、などと言ったら。
彼女は僕を殺すのだろうか。
ヤンデレこあいですネ★
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